まだ2月に入ったばかりだというのに、妙に暖かい日があったかと思えば、また冬将軍が戻ってくる。
この寒暖差のせいなのか、それとも昨夜の深酒が祟ったのか、朝起きた瞬間に腰に走る鈍い違和感で目が覚めた。
「ああ、またか」
ため息をつきつつ、ベッドの上で慎重に体を起こす。
まるで錆びついたブリキのおもちゃだ。油を差さないと動き出せない。
40歳。人生の折り返し地点なんて言われるが、肉体のピークアウトはすでに過ぎていることを、こういう瞬間にまざまざと思い知らされる。
今日はそんな、40歳前後から始まる切実な悩み、「腰痛」と「メンテナンス」についての話をしようと思う。
昔は腰痛なんて都市伝説だと思っていた。
「腰が痛い」と言う上司を見ては、「運動不足じゃないですか?」なんて心の中で毒づいていたものだ。
痛みというのがどういう感覚なのか、そもそも腰のどのあたりが痛むのかすら想像もつかなかった。
無限に湧き出る体力と、一晩寝れば回復する再生能力。
それが永遠に続くと信じて疑わなかった、愚かな自分が懐かしい。
それが今ではどうだ。
長時間デスクワークで座りっぱなしの会議のあと、ふと立ち上がろうとすると「グキッ」となりそうで息が止まる。
あるいは、休日に街へ繰り出し、ショッピングで数時間歩き回っただけで、腰の奥底に重たい鉛が埋め込まれたような鈍痛が広がる。
立っているだけで辛い。歩いているだけで痛い。
情けない話だが、これが現実だ。悲しいかな、年を感じざるを得ない。
皮肉なのは、俺が何もしぼんだ枯れ木のような生活をしているわけではないということだ。
ご存知の通り、俺は筋トレを日課にしている。
週に数回はジムに通い、自分の体重以上のバーベルを担いでスクワットをし、デッドリフトで床から鉄の塊を引き上げている。
筋肉量だって、同年代の平均よりはずっと多いはずだ(多少の脂肪が乗っているのは、まあ、ご愛嬌ということで)。
「運動しているのに、なぜ腰が痛くなる?」
この矛盾に直面した時、俺は最初、自分の努力が足りないのだと思った。
背筋が足りないのか? 腹筋が弱いのか?
そう考えてさらに高重量を追い求め、結果として腰痛を悪化させるという、典型的な脳筋の失敗パターンに陥りかけたこともある。
だが、違うんだ。
問題は「出力」不足ではなく、「柔軟性」と「ケア」の不足だ。
筋肉という鎧は、手入れを怠ればただの重たい拘束具になる。
硬くなった筋肉は関節を引っ張り、骨格を歪め、神経を圧迫する。
俺に必要なのは、これ以上筋肉を大きくすることではなく、錆びついた関節にオイルを差し、ガチガチに固まった筋肉をほぐしてやることだったんだ。
忘れもしない、数年前のあの出来事。
あれは春先の、今日みたいに少し肌寒い朝だった。
何気ない生理現象、ただの「くしゃみ」。
「ハクション!」
その瞬間、俺の腰で何かが弾けた音がした気がした。
雷に打たれたような衝撃。その場から一歩も動けなくなる激痛。
いわゆる「ぎっくり腰」だ。
ドイツ語では「魔女の一撃(Hexenschuss)」と言うらしいが、言い得て妙だ。
あの時、俺はリビングの床に四つん這いになりながら、自分の無力さに涙が出そうになった。
トイレに行くのさえ、決死の覚悟が必要な大冒険になる。
あの悲惨さは、経験した者にしかわからない地獄だ。
二度とあんな思いはしたくない。それが、今の俺の腰痛対策の原動力になっている。
では、具体的にどうするか。
もちろん、マッサージや整体に通うのが一番確実なのはわかっている。プロの指は神の技だ。
定期的に通い、凝り固まったパーツを分解・清掃・再構築してもらう。
これはもう、車検と同じで必要な経費、いや「投資」だと割り切ることにしている。
だが、忙しい俺たちには時間がない。
そこで俺が最近ハマっているのが、テクノロジーの力だ。
数年前に買ったマッサージガン。こいつがなかなかの仕事をしてくれる。
筋膜リリースなんて小難しい理屈は置いておいて、風呂上がりにウィスキーをちびちびやりながら、振動するヘッドを尻や太ももの裏に押し当てる。
「うおぉ…効く…」
思わず変な声が出るが、誰に見られるわけでもないから構わない。
振動が深層部の凝りを砕いていく感覚は、ある種の快感ですらある。
それから、地味だが毎日のストレッチ。これが結局一番大事だという結論に至る。
風呂上がりにYouTubeで「腰痛 ストレッチ」と検索し、画面の中のインストラクターに合わせて体を伸ばす。
最初は「こんなポーズ取れるか!」と画面にツッコミを入れていたが、続けていれば不思議と体は応えてくれる。
前屈で指先が床に触れた時の、あの地味な達成感。
ベンチプレスの重量更新よりも、今はこっちの方が嬉しかったりするから不思議だ。
「腰痛」は、体からのSOSだ。
「おい、ちょっと張り切りすぎだぞ」「たまには休ませろよ」という、内なる声だ。
若い頃は無視してもなんとかなったその声を、今はちゃんと聴いてやる必要がある。
老いることは、決して悪いことばかりじゃない。
自分の体と対話し、労り、メンテナンスすることの重要性を学ぶ機会でもある。
かつては「強くなること」だけが目的だった筋トレが、今は「長く使い続けるためのチューニング」へと意味を変えつつある。
それもまた、大人の嗜み、あるいは新しい趣味だと思えば悪くない。
魔女に狙われないように、今日も俺は風呂上がりに念入りにストレッチをするだろう。
硬い体と格闘しながら、少しずつ柔らかくなっていく未来の自分を想像して。
さあ、明日はもう少し軽く動けるはずだ。
またな。


